平成20年6月8日 秋葉原で無差別殺傷事件が発生した。
加藤容疑者は、歩行者天国中の交差点に2トントラックで突っ込み、歩行者をはね、トラックから降りてダガーナイフで歩行者を刺した。
7人の方が亡くなられた。
なんともいたましい事件といえる。
加藤容疑者の動機は、どうも仕事場での人間関係の悩みや、親子関係の疎遠(そえん)、将来への絶望感から自暴自棄(じぼうじき)になって犯行を行ったようだ。
確かに彼自身もかわいそうなところはある。
小さい頃からスパルタ教育・英才教育で両親にしごきあげられ、結果的にはその親の期待にこたえることができずに、親のしいたレールから落っこちてしまい、自分のすべてを否定されたような悲惨な人生を送ってきた。
親がそんな彼の心情を癒(いや)してあげることも、さぼっている。
これらの彼の生育歴から、私の周りにも彼の気持ちはわかるという人もいる。
しかし悲惨な生育歴があるといって、何の罪もない人を殺害していい道理はない。 同じ様な生育歴で不幸せな人生を送っている人でも、なんとか人に認められたい、なんとか良い人生を送りたいと思って、もがき苦しんでいる人もたくさんいる。
彼は彼自身で自分を人生の負け組みに入れる総仕上げを行ってしまったと言えるだろう。
ここではっきり言えることは、このサイトでも何度も言ってきたように、親が子どもの気持ちに共感する能力があり、子どものありのままを認め、良いところをほめてのばすことができていれば、絶対に彼は全く違った楽しい人生を送っていただろうと思われる。
もちろん、成人してからは彼自身の責任もある。
ただ彼のような疎外感(そがいかん)の強い人間に愛情を持って真摯(しんし)に対応するような機能が社会にあっただろうか?
職場の上司が彼の悩みを聞いたことがあっただろうか?
職場の先輩が彼の悩みを聞いたことがあっただろうか?
地域社会の人間が彼の悩みを聞いたことがあっただろうか?
親が愛情を与えず・認めず、会社の上司が愛情を与えず・認めず、地域社会の人間が愛情を与えず・認めずとなれば、結局は自分自身で将来の希望に向かってはい上がるしかないのが現状の社会の状況だろう。
私は今の社会に不満を持っているわけではないが、ほんの少し誰かが彼に将来の希望に向かってがんばるように愛情をもって動機付けを行うことができたなら、今回のような事件は起きなかったと考える。
ただ、現状では今回のような事件を起こしそうな予備軍が今の日本には非常に多いのではないかと思っている。
それだけ日本社会において、親子関係の成熟化が遅れていると思われてならない。